経済学を専攻して二十年が経つ今、あの頃の自分の確信がいかに脆いものであったかを痛感せずにはいられない。大学院生だった私は、市場の自己調整機能を絶対視し、成長こそが社会的公正を実現する唯一の道だと信じて疑わなかった。指導教員から「弱者を救うのは再分配ではなく成長のパイを拡大することだ」と叩き込まれ、その言葉を金科玉条のごとく奉じていたのである。
転機が訪れたのは、フィールドワークで訪れた地方の農村においてであった。そこでは労働者が出資者を兼ねる協同組合形式の農業法人が、市場原理の外縁で細々と、しかし着実に命脈を保っていた。利益最大化を至上命令とする通常の株式会社とは異なり、組合員の生活の安定を第一義とするその経営哲学は、私が信奉してきたモデルとは根本的に相容れないものであった。にもかかわらず、そこに暮らす人々の顔には、都市の勤労者には見られない種類の充足感が宿っていた。
あれから十五年、私は今や成長至上主義への懐疑を公言する立場に転じた。ただし、それは安易な反資本主義への感情的傾倒ではない。効率と持続可能性、競争と連帯というトレードオフを直視した上での、苦渋に満ちた問い直しである。
私が「脱成長」という概念に初めて触れたのは、リーマン・ショック直後の閉塞感が社会全体を覆っていた頃のことだ。当時の私は、長引く不況に喘ぎながらも、GDP拡大こそが出口だという政策論議の外に出る発想など持ち合わせていなかった。
だが、今にして思えば、その頃すでに亀裂の予兆は随所に顕れていた。金融資産と実物経済の乖離は拡大の一途をたどり、環境負荷は取り返しのつかない域に達しつつあった。成長という名の列車は、行き先を誰も確認しないまま加速し続けていたのである。
もっとも、代替モデルを標榜する論者たちの主張が常に説得力を持つかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。惑星の生態的限界の内側で人間の欲求を満たすという「環状の経済圏」構想は理念として美しいものの、それを既存の国際経済秩序の中でいかに制度化するかという問いに対しては、いまだ具体的な回答が与えられていない。理想の精緻さと実装の困難さの間に横たわる深淵を直視することなく代替案を礼賛するのは、かつての私が成長を盲信していたのと同じ過ちを犯すことになりはしないか、と自戒を込めて問い続けている。