「やはり私の見立て通りだった」。記者の田中恵は、取材メモを閉じながらそうつぶやいた。だが、その確信こそが、後に大きな誤りを招くことになる。
半年前、田中は地方の中小企業による水質汚染問題を追っていた。最初の情報提供者は、近くの川が変色したと訴える住民だった。田中はその話を聞いた瞬間、「この企業が原因に違いない」と感じた。工場の排水口が川の上流にあったからだ。
それ以来、田中は企業の不正を示す証拠ばかりを集めようとした。企業側の反論や、別の原因を示すデータには、ほとんど目を向けなかった。「どうせ言い訳だろう」と思ったからだ。住民の証言も、自分の考えを支持するものだけを記事に使った。反対意見を持つ住民の声は、メモの端に小さく書き留めるだけだった。
記事は大きな反響を呼んだ。企業への批判が高まり、行政も調査に乗り出した。田中は自分の仕事に満足していた。ところが、調査結果が出たとき、状況は一変した。
行政の報告書によると、川の変色の主な原因は、上流の農地で使われた肥料の流出だった。企業の排水にも基準を超えた成分が含まれていたが、変色との直接的な関係は薄いとされた。田中が「言い訳」として切り捨てた企業側のデータは、実は正確だったのだ。
田中は編集部で上司の松本に呼ばれた。「最初から結論を決めて取材したんじゃないか」と松本は静かに言った。田中は反論できなかった。自分が見たいものだけを見て、見たくないものを無視していたという事実が、じわじわと胸に広がっていった。
松本はさらに続けた。「取材では、自分の考えを疑うことも大切だ。反対の立場の人の話を、同じくらい丁寧に聞いたか?」
その言葉が、田中の中で長く残った。自分の最初の印象を支持する情報だけを集めてしまうと、判断は知らないうちに偏っていく。それは取材だけでなく、日常の判断にも当てはまるはずだ。
田中はその後、取材の進め方を変えた。まず自分の仮説に反する情報を意識して探し、異なる立場の声を記事に入れるよう心がけた。完全に先入観をなくすことは難しい。しかし、自分の考えを一度疑ってみるだけで、見えてくるものが大きく変わることを、田中は身をもって学んだのだった。