毎朝、空が少しずつ明るくなる時間に、私は家を出る。もう三十年近く続けている習慣だ。靴をはいて、近くの川沿いの道を歩く。この小さな毎日の行動が、私の一日を作っている。
もともと、私がウォーキングを始めたのは、四十代のころだった。当時、仕事が忙しくて体の調子がよくなかった。医者に「少し体を動かすようにしてください」と言われたのがきっかけだった。最初は「歩くだけで何が変わるのだろう」と思っていた。しかし、一週間、二週間と続けるうちに、少しずつ体が軽くなるのを感じた。
今、七十代になった私は、あのころの自分を思い出すことがある。あのとき歩き始めていなければ、今ごろどうなっていただろうか。ウォーキングは、私にとって単なる運動ではなくなった。それは、自分自身と向き合う時間になったのだ。
川沿いの道を歩きながら、私はいつも季節の変化に気づく。春には桜の花びらが水の上に落ちる。夏には朝の空気がすでに温かい。秋には葉が赤や黄色に色づいて、足元に積もる。冬には白い息が空に消えていく。このような景色を三十年間、毎朝見てきた。同じ道なのに、毎日少しずつ違う顔を見せてくれる。
かつて、私の祖父も毎朝散歩をする人だった。祖父は「歩くことは考えることだ」とよく言っていた。子どものころは、その言葉の意味がよくわからなかった。しかし今は、その言葉がとても深いものだったと思う。歩いているとき、頭の中がゆっくりと整理される。昨日の心配ごとが小さく見えてくる。大切なことと、そうでないことが、自然にわかってくる。祖父は、歩くことを通じて、毎日の生活の中で自分を見つめ直していたのだろう。
現代の人たちは、便利な乗り物があるから、あまり歩かなくなったらしい。電車やバスで座ったまま、スマートフォンを見ている人が多い。もちろん、それが悪いとは言わない。しかし、私は思う。歩くことで得られるものは、健康だけではない。風の感触、土の匂い、鳥の声。そういうものを体で感じる時間が、人の心を豊かにするのではないだろうか。
三十年前、私は健康のために歩き始めた。しかし今、私が歩くのは、健康のためだけではない。歩くことが、私にとって生きることそのものになっているからだ。朝の光の中で一歩一歩を踏みしめながら、今日も私は自分の道を歩いていく。それが、私のやり方だ。