今、私の手元に一枚の写真がある。十年前、初めて海外取材に出かけたときに撮ったものだ。写真の中の私は、どこか緊張した顔をしている。あの頃の自分を思い出すたびに、グローバルな人材とは何かという問いが頭に浮かぶ。
当時、私は新聞社に入って三年目だった。上司から「海外の教育現場を取材してくるように」と言われ、北欧のある国に向かった。語学には自信があったつもりだった。大学でも英語の成績は悪くなかったし、取材前に会話の練習も重ねた。しかし、現地に着いた初日から、思い通りにはいかなかった。
現地の学校で教師にインタビューを申し込んだとき、相手の言葉の意味は理解できたが、返事に詰まってしまった。言葉の問題ではなかった。その国では、初対面の相手に対してもかなり率直に意見を言う文化があった。私は遠回しな表現を使いすぎて、相手をとまどわせてしまったのだ。通訳の助けを借りながら何とか話を進めたが、心の中では深く落ち込んでいた。
翌日、同じ学校で別の教師に会った。彼女は海外での勤務経験があり、異なる文化の中で働くことの難しさを自ら体験していた。「語学ができるだけでは十分ではありません。相手の考え方や価値観を理解しようとする姿勢こそが大切です」と彼女は言った。その言葉は、私の胸に深く刺さった。
その後、私はその国の教育制度についてさらに調べた。驚いたのは、学校の授業の中に「異文化を理解するための対話」という時間が設けられていたことだ。子どもたちは、自分とは異なる背景を持つ相手と積極的に話し合う練習をしていた。語学の授業だけでなく、相手の立場に立って考える訓練が、日常的に行われていたのだ。
帰国後、私はその取材をもとに記事を書いた。「語学力は入り口にすぎない」というタイトルをつけた。反響は予想以上に大きく、読者からたくさんの声が届いた。特に多かったのは、「自分も同じような経験をした」という共感の声だった。
今、日本でも国際的に通用する人材を育てようという動きが広がっている。しかし、語学の試験の点数を上げることや、留学の機会を増やすことだけに力を入れている例も少なくない。あの北欧の教師が言っていたように、相手の文化や考え方に関心を持ち、柔軟に対応できる力を育てることが、本当の意味での人材育成につながるのではないだろうか。あの取材から十年が経った今も、その考えは変わっていない。