二〇〇三年、世界で初めてウイルスのゲノムが人工的に合成されたというニュースが科学界に広まった。その知らせを聞いた若き研究者、田中誠は東京の小さな研究室で手を止めた。彼は長年、生命の仕組みを解明することに情熱を注いできた。しかし、その報告は単なる科学の進歩を超えた何かを予感させた。
田中はその後、国際学会への参加を重ねながら、合成生物学という新しい分野の広がりを目の当たりにした。研究者たちはDNAの部品を組み合わせて、自然界には存在しない生き物を設計しようとしていた。二〇一〇年には、ある研究グループがゲノムを一から設計した細菌を動かすことに成功した。その細菌は自ら増殖し、まるで本物の生命体のように振る舞った。田中はその論文を読み、深い驚きとともに言いようのない不安を覚えた。
「これは本当に正しいことなのか」と彼は自問した。生命を人間の手で作り出すことは、長い間、神話や空想の世界の話だった。それが現実になりつつある今、田中の心には二つの思いが交錯していた。一方では、難病の治療や新しい材料の開発など、社会に役立つ可能性への期待があった。他方では、同じ技術が危険な物質を作るために使われるかもしれないという恐れがあった。
二〇一五年、田中は内閣府の専門調査会に委員として招かれた。会議では、研究の自由と安全管理のどちらを優先すべきかという議論が繰り返された。ある委員は「規制を強めすぎれば、日本の研究は世界に遅れをとる」と主張した。別の委員は「一度外に出た技術は取り戻せない」と警告した。田中は両者の言葉を聞きながら、答えを出すことの難しさを痛感した。
その翌年、ある国際会議で衝撃的な報告があった。研究用に設計された微生物が実験室の外に漏れ、周辺の生態系に予期しない変化をもたらしたというのだ。幸いにも大きな被害には至らなかったが、田中はその事例を深刻に受け止めた。技術の進歩は止められないとしても、その使い方を誤れば取り返しのつかない結果を招くことは明らかだった。
田中は報告書をまとめながら、かつて自分が研究室で感じた高揚感を思い出した。科学への純粋な好奇心は今も変わらない。しかし、生命を作るという行為には、それに見合うだけの責任が伴わなければならない。彼はペンを置き、窓の外に広がる夜の街を静かに見つめた。人間が踏み込んだこの新しい領域において、次の世代がどのような選択をするかは、今この時代の議論にかかっているのだと、田中はあらためて感じた。