私が医師になって三十年以上が経つ。今振り返ると、医学の世界がこれほど大きく変わるとは、若い頃には想像もできなかった。
あれは一九九〇年代のことだった。遺伝子に関する研究が急速に進み始め、医療の現場にも少しずつその影響が現れてきた頃だ。当時、私は大学病院の小児科に勤めていた。遺伝性の疾患を持つ子どもたちを毎日診ながら、「もし遺伝子を書き換えることができたら、この子たちを救えるのに」と何度も思ったものだ。その気持ちは純粋なものだったと、今でも信じている。
しかし二〇一八年、世界を驚かせた出来事が起きた。中国のある研究者が、受精卵の遺伝子を操作して双子を誕生させたと発表したのだ。その目的は、特定の病気にかかりにくくするためだったという。私は最初、その報告を聞いたとき、医師として複雑な思いを抱いた。病気を防ぐという目標は理解できる。だが、生まれる前の命に対して、人間がそこまで手を加えてよいのかという疑問が、すぐに頭に浮かんだ。
その後、この研究者は科学的・倫理的な問題があるとして、国際的に強く批判された。中国当局も問題があると判断し、研究者は刑事的な責任を問われることになった。この一連の出来事は、医学の歴史における大きな転換点だったと思う。科学の力がどこまで及んでよいかという問いが、初めて世界規模で真剣に議論されるようになったからだ。
私はこの事件を通じて、かつての「優生思想」という歴史を改めて思い出した。二十世紀前半、一部の国々では「優れた人間を増やし、劣った人間を減らすべきだ」という考え方が社会に広まり、多くの人が傷つけられた。当時の科学者や医師の中にも、それを支持した人がいたことは否定できない。その反省があるからこそ、現代の医学は倫理的な基準を非常に大切にしているわけだ。
遺伝子を操作する技術そのものは、使い方によっては多くの命を救う可能性を持っている。実際、難病の治療に役立てようとする研究は今も続いており、私も可能性を感じている。しかし、「どんな子どもを産むか」を親や医師が決めることができるようになれば、それは治療ではなく「設計」になってしまう。その一線を越えてはならないと、私は強く感じている。
医師として長く働いてきた私が言えることは一つだ。科学の進歩は止められないが、それを導く価値観と規則は、社会全体で慎重に作り上げていかなければならないということだ。過去の失敗から学び、未来の命を守ること。それが、今を生きる私たちの責任だと思っている。