「このままでは工場を閉めざるを得ない」と、田中部長は苦い表情で言った。十年前のことだ。排出量の上限を定めた新たな規制が施行された当初、製造現場には重苦しい空気が漂っていた。設備の更新に莫大なコストがかかるにもかかわらず、猶予期間はわずか三年しか与えられなかった。競合する海外メーカーが規制の緩い国へ生産拠点を移転し始める中、田中部長の言葉は現場の誰もが胸の内に抱えていた本音を代弁していた。「技術革新が起きるなんて、お題目に過ぎない」と彼は続けたが、その声には諦念と憤りが入り混じっていた。工場の隅では、若手エンジニアの村瀬が黙ったまま図面を眺めていた。彼は反論したい気持ちを押し殺しながらも、既存の燃焼プロセスを根本から見直す構想を密かに温めていた。その沈黙は従順さからではなく、まだ言葉にならない確信を守るためのものだった。規制は脅威として降りかかったが、村瀬にとってはむしろ、閉塞した現場を突き破る契機に映っていた。
あの頃から十年が経ち、田中は今や顧問として後進に語りかける立場になっていた。「正直に言えば、あの規制がなければ我々は変われなかった」と彼は穏やかに、しかしどこか照れくさそうに言った。村瀬が主導した低排出プロセスの特許は国際的に評価され、かつて撤退を検討していた工場は今や業界の先導役を担っている。排出量の取引制度が普及するにつれて、削減量そのものが収益源となる構造が生まれ、規制への対応コストは結果的に競争優位へと転化した。「あのとき君が黙っていた理由が、今になってようやくわかる気がする」と田中が言うと、村瀬は苦笑しながら「言っても聞いてもらえないと思っていただけです」と返した。その一言には、組織の硬直性への静かな批判が込められていたが、田中はそれをあえて正面から受け止め、深くうなずいた。規制を制約として捉えるか、変革の触媒として捉えるかは、結局のところ組織の想像力の問題だったのかもしれない、と二人の間には言葉にならない共通の理解が漂っていた。