星空を見上げるという行為が、人間の自己認識にいかなる変容をもたらすか——哲学科の准教授である橘と、認知心理学を専攻する大学院生の水野は、研究室の窓越しに夜空を眺めながら、その問いを巡る対話を続けていた。
「先生は、広大な宇宙の前に立ったとき、自分が取るに足らない存在だと感じたことはありますか」と水野が問いかけた。その声には、問いそのものへの切迫感が滲んでいた。
橘はしばらく沈黙した後、窓の外に目を向けたまま静かに答えた。「取るに足らない、という表現は正確ではないかもしれない。確かに、宇宙の時空的スケールを前にすれば、人間一個体の存在など、塵芥にも等しい。しかしその感覚は、単なる卑小感とは本質的に異なる何かを孕んでいる」
水野は手元のノートを閉じた。「それが、いわゆる畏敬の情動ですね。ケルトナーらの先行研究でも、広大な自然の光景を前にしたとき、人は自己の縮小感とともに、逆説的に存在の充溢感を経験するという知見が示されています」
「そうだ。だが私が問いたいのは、その逆説の機序だ」と橘は言い、椅子を水野の方へ向けた。「縮小と充溢が同時に成立するとは、論理的には矛盾しているように見える。それをどう解釈するか」
水野は一瞬、答えを探すように視線を彷徨わせた。「自己の輪郭が溶解することで、より大きな全体性へと包摂される感覚——そう解釈できるかもしれません。つまり、個としての自己が縮小するのではなく、自己の定義そのものが拡張するのではないでしょうか」
橘の表情がわずかに和らいだ。しかし彼はすぐには同意せず、あえて反論するように続けた。「それは美しい言い方だが、哲学的に厳密かどうかは別問題だ。自己の拡張というのが比喩に留まる限り、実証的議論には耐えられない。君はその命題を、どのような論証によって支えるつもりか」
水野はその問いに、むしろ活力を取り戻したかのように顔を上げた。「現象学的アプローチが有効だと思います。フッサールの志向性概念を援用すれば、意識は常に何かへと向かう運動であり、宇宙という圧倒的な対象に向かうとき、意識はその対象の広がりに応じて自己の境界を再構成せざるを得ない。それは比喩ではなく、意識構造の記述です」
橘はゆっくりと頷いた。「なるほど。とすれば、星空を仰ぐという行為は、単なる審美的体験に留まらず、自己の存在論的再編成を促す契機たりうる、ということになるな」
「はい。そしてその再編成こそが、畏敬の情動を単なる圧倒感から尊厳の感覚へと転換させる鍵だと私は考えています」と水野は言い切った。
沈黙が二人の間に漂った。窓の外では、都市の光に霞みながらも、いくつかの星が辛うじて輝きを保っていた。橘はその光を見つめながら、何かを確かめるように、しかし声には出さずに、ただ静かに呼吸していた。水野はその沈黙を、反論ではなく承認として受け取ったが、それを確かめる術はなかった。