デジタル技術の急速な普及に伴い、伝統芸術の継承をめぐる議論は新たな局面を迎えている。西洋においては、デジタル化をもっぱら「保存」の手段として位置づける傾向が根強く、原作の物質的完全性を損なわぬよう、高精細スキャンや三次元モデリングを活用した記録・公開が主流をなしている。これは、芸術作品をいわば「固定された遺産」として捉え、後世への忠実な伝達を至上命題とする価値観に基づくものにほかならない。
一方、日本をはじめとする東アジアの文化圏では、伝統芸術を静的な遺物としてではなく、師から弟子へと技と精神が絶えず受け渡される「生きた実践」として捉える傾向が顕著である。こうした文脈においてデジタル技術は、記録にとどまらず、稽古の補助や演目の再解釈、さらには新たな表現様式の創出へと応用されるに至っており、革新と保存の境界線が意図的に曖昧にされているとさえいえよう。この相違は、芸術の本質を「形」に見るか「行為」に見るかという根本的な価値観の差異を映し出しており、デジタルと伝統の融合がいかなる意味を帯びるかは、文化的文脈を抜きには語り得ないのである。
伝統芸術へのデジタル技術の導入は、一見すれば革新の象徴であるかのように映るものの、その実態は文化圏によって著しく異なる様相を呈している。例えば、能や歌舞伎といった日本の舞台芸術においては、デジタル映像を背景演出に取り入れた実験的公演が試みられる一方で、「型」の厳格な継承を重んじる立場からは、技術的介入が本来の身体的修練を空洞化させるという懸念の声も少なくない。これに対し、インドの古典舞踊バラタナーティヤムの世界では、ディアスポラ(離散)コミュニティがデジタルプラットフォームを積極的に活用し、地理的障壁を乗り越えながら師弟関係を維持している事例が報告されており、技術が継承の危機を救う手段として肯定的に受容されている側面が際立っている。
このように、同一の技術的手段であっても、その意義づけは当該文化が芸術の何を核心と見なすかによって根本的に規定される。革新を変質として忌避するか、あるいは継承の延長として積極的に取り込むかという判断は、ひとえに各文化が伝統に付与する意味の厚みに左右されると言わざるを得ない。デジタルと伝統の融合を論じる際には、技術の優劣ではなく、こうした文化的文脈の差異こそが問われるべき核心なのである。