二十世紀後半、西洋社会において「痩身礼賛」の文化が急速に台頭した背景には、戦後の大衆消費社会の勃興と、それに伴うメディア産業の爆発的な拡張があった。一九六〇年代以降、ファッション誌やテレビ広告が提示する女性像は、それ以前の時代とは比較にならないほど均質化・規格化されていき、細身の体型が「美」の絶対的指標として社会に浸透するに至った。この変容は単なる審美観の変化に留まらず、個人の身体に対する認識そのものを根底から塗り替えるものであったと言わざるを得ない。
社会学者のマイク・フェザーストーンが「消費文化における身体」として論じたように、近代社会では身体が自己表現の媒体として機能するとともに、社会的評価の対象へと転化していった。こうした理論的枠組みに照らせば、摂食障害の急増は単なる個人的な精神疾患の問題ではなく、特定の社会構造が産出した病理として捉えなければならない。実際、世界保健機関の統計によれば、摂食障害の罹患率は大衆メディアが普及した国々において有意に高く、メディアへの曝露量と自己身体評価の歪みとの間には強い相関関係が認められている。
歴史的に顧みれば、こうした外見至上主義的な規範の強制は、特定の時代・社会に固有の現象ではなく、権力構造が身体を規律化しようとする普遍的な衝動の発現として理解し得る。フーコーの「生権力」概念を援用するならば、近代国家は個人の身体を管理・最適化しようとする装置を絶えず整備してきたのであり、ダイエット産業や美容整形市場の肥大化はその現代的形態に他ならない。
しかしながら、こうした構造論的分析が見落としがちな点として、当事者の主体性と回復への意志の問題がある。一九八〇年代から九〇年代にかけて欧米で展開されたボディ・ポジティビティ運動は、社会的規範への批判にとどまらず、自己肯定を基盤とした新たなアイデンティティの構築を模索するものであった。この運動が後のSNS時代における多様な身体表象の浸透に道を開いたことは、歴史的に過小評価されるべきではない。
今日のデジタル・メディア環境においては、アルゴリズムによる「理想像」の反復的提示が従来のマスメディア以上に個人の内面へ深く浸透し得るという点で、問題の構造はより精緻かつ隠蔽されたかたちをとっている。過去の歴史が示す教訓は、外見を巡る規範が常に社会的権力関係と不可分であるという認識を持ちつつ、個人の尊厳と自律性を擁護するための制度的・文化的介入を怠ってはならないということに尽きる。身体をめぐる言説の歴史を批判的に継承することなくして、現代の病理への実効的な処方を描くことは困難であろう。