「先生、少し話せますか」
放課後の職員室に、田中先生の声が響いた。向かいの席に座る山本先生は、書類から目を上げることなく「どうぞ」とだけ答えた。
田中先生は椅子を引いて腰を下ろしながら、少し間を置いた。「うちのクラスの児童が、授業中ずっと窓の外を見ているんです。成績は悪くないんですが、何か別のことを考えているようで」
山本先生はようやく書類を脇に置いた。「それで?」
「授業が合っていないのかと思って。教科書通りに進めているんですが、どうも面白そうにしていない。もう少し自分なりに工夫してみようかと」
山本先生はゆっくりと腕を組んだ。「工夫というのは、どの程度のことを考えているの?」
「たとえば、子どもたちが自分で課題を選べる時間を設けるとか。一人一人の興味に合わせて進められるように」
「それは難しいんじゃないかな」と山本先生は言った。声は穏やかだったが、どこか壁を感じさせるような響きがあった。「教える内容は、国が定めた範囲があるから。個人の判断で大きく変えることはできない」
田中先生は少し黙った。山本先生の言葉が正しいことはわかっていた。戦後まもなく、教育の方向性を国が一本化したのには理由があった。全国どこの子どもも同じ水準の教育を受けられるように、という考え方だ。それは長い間、日本の教育を支えてきた柱でもある。
しかし、田中先生の頭の中には、あの子の横顔が浮かんでいた。窓の外を見つめながら、何かを考え続けているあの子の姿が。
「でも先生、今の時代に同じやり方がずっと続いていいものでしょうか」
山本先生は少し目を細めた。「変えたいという気持ちはわかる。私も若い頃は同じことを思っていた」
「今は違うんですか」
「違うというわけじゃない。ただ……」山本先生は言葉を選ぶように間を置いた。「一人の教師が動いても、制度全体は変わらない。それが現実だということは、経験で学んだ」
その言葉を聞いて、田中先生は何も言えなくなった。山本先生が諦めているのか、それとも別の何かを伝えようとしているのか、判断がつかなかった。
職員室の外では、子どもたちが帰り支度をする声が聞こえていた。田中先生はその声を聞きながら、今日の授業で窓の外を見ていたあの子のことを、また思い出していた。