記者:先生は長年、マンガやアニメを含む大衆文化の批評をなさってきましたが、近年の著作権をめぐる論争についてはどのようにお考えですか。
評論家:一口に言えば、制度と文化の間に深刻な齟齬が生じているということです。法律というものは本来、創造的行為を促進するための枠組みであるはずなのに、いつの間にかそれ自体が創造の障壁として機能しはじめている。これは由々しき逆説と言わざるを得ません。
記者:具体的にはどのような場面でそれを感じますか。
評論家:たとえば、同人誌文化を見てください。あれは単なる模倣などではなく、原作への深い愛着と独自の解釈が絡み合った、れっきとした創造的営みです。長年にわたって権利者側も黙認という形で共存を図ってきた。ところが昨今、企業による権利の一元管理が進むにつれ、この暗黙の均衡が崩れつつある。法的には確かに侵害に当たり得るものの、文化的な文脈を無視してそれを断罪することには、私は強い違和感を覚えます。
記者:一方で、著作権は創作者の生活を守る盾でもあるという意見もありますが。
評論家:むろん、その側面を軽視するつもりはありません。権利の保護なくして持続的な創作活動は成り立たない。しかしながら、現行制度の問題は保護の期間や範囲が過度に肥大化し、知識や表現が社会全体の共有財産となるべき時機を著しく遅らせている点にあります。作品が世を去った作者の名の下に半永久的に囲い込まれ、後続の世代がそこから自由に学び、発展させる機会を奪われているとすれば、それは文化の継承という観点から見て、取り返しのつかない損失ではないでしょうか。
記者:欧米で議論されているフェアユース的な概念の導入については。
評論家:理念としては傾聴に値しますが、日本に移植する際には慎重な吟味が必要です。法制度というものは、それを支える社会的文脈や慣習と不可分に結びついている。欧米の枠組みをそのまま輸入しても、日本固有の創作文化の土壌に根付くかどうかは別問題です。むしろ私が提唱したいのは、制度の外側にある慣行や共同体的規範を、いかにして可視化し、社会的に承認される形へと昇華させるかという問いです。法が文化を一方的に規律するのではなく、文化の実態が法の解釈を豊かにしていく、そういう双方向の緊張関係こそが、成熟した社会における知的創造の基盤になり得ると、私は確信しています。
記者:非常に示唆に富むお話でした。ありがとうございました。