今年の夏、押し入れの中から古いノートが出てきた。子どものころに書いた日記だった。ページをめくると、昔の生活が生き生きとよみがえってきた。
小学生のころ、わたしの家では季節ごとに生活のリズムがはっきり変わっていた。夏になると、毎朝五時に起きて、祖母と一緒に畑に行くことにしていた。朝の空気はひんやりしていて、野菜についた露がきらきら光っていた。祖母は「夏の朝は短いから、早く動かなければならない」とよく言っていた。その言葉の意味が、当時のわたしにはよくわからなかった。ただ、眠いのに起こされるのがつらかっただけだ。
夏の食事も今とはかなり違っていた。祖母は旬の野菜を使った料理を毎日作ってくれた。きゅうりやなす、トマトなど、畑でとれたものがそのまま食卓に並んだ。「今が一番おいしい時期だよ」と祖母は言いながら、丁寧に料理していた。スーパーでいつでも同じ野菜が買える今とは、全然ちがう感覚だったと思う。
冬になると、生活は大きく変わった。夏の早起きがうそのように、朝はゆっくり起きてもよかった。畑仕事がないので、家の中で過ごすことが多くなった。祖母は冬の間、夏に干しておいた野菜を使って煮物を作ってくれた。「夏にがんばったから、冬においしいものが食べられる」と祖母はよく言っていた。子どものわたしは、その言葉をあまり深く考えなかった。
あの日記を読み返して、わたしははっとした。祖母の言葉には深い意味があったのだ。夏に早起きして畑に行くのは、ただ野菜をとるためだけではなかった。季節の変化に合わせて体を動かし、自然のリズムに寄り添って生きることが大切だと、祖母は体で教えてくれていたのだ。
今のわたしは、夏も冬も同じ時間に起きて、同じような食事をしている。エアコンのおかげで季節の暑さや寒さをあまり感じないし、スーパーに行けばいつでも好きな食材が手に入る。便利な生活になったと思う反面、何か大切なものをなくしてしまったような気もする。
祖母はもう八十五歳で、畑仕事はできなくなった。でも今でも、夏と冬では起きる時間が少し違うらしい。「体が季節を覚えているから」と祖母は笑って言う。その言葉を聞いて、わたしも少しずつ生活を変えようと思い始めた。来年の夏は、もう少し早起きをするようにしてみようと思っている。季節の流れを体で感じながら生きることが、豊かな暮らしへの第一歩なのかもしれない。