量子コンピュータという言葉を初めて耳にしたとき、私はそれが遠い未来の話だと思い込んでいた。ところが、研究者たちの講演に足を運ぶうちに、その実現がすでに射程圏内に入りつつあることを痛感させられ、胸の奥に言いようのない昂揚と不安が入り混じった感覚が広がった。
従来の計算機が「0か1か」という二値で情報を処理するのに対し、量子の世界では「0でも1でもある」という重ね合わせの状態が許容される。この原理を駆使することで、創薬の過程で無数の分子構造を同時に探索したり、新素材の電子状態を精緻にシミュレートしたりすることが現実味を帯びてくる。難病の治療薬が格段に短い期間で開発されるかもしれないと聞いたとき、私は思わず息をのんだ。
しかしながら、その輝かしい可能性の裏側には、看過しがたい影が潜んでいる。現在のインターネットを支える暗号技術の多くは、膨大な計算量を要するという前提のもとに成立している。量子計算がその前提を覆してしまえば、金融取引や個人情報を守る壁が一夜にして崩れ去る恐れがある。とはいえ、そうした脅威への対策として量子耐性暗号の研究も並行して進んでいるのだが、普及のスピードが脅威の進展に追いつくかどうかは、誰も断言できないのが実情だ。
さらに私が憂慮するのは、この技術が生み出す恩恵を享受できる者と、そうでない者との間に生じる深刻な断絶である。莫大な開発コストを賄える国家や巨大企業のみが最先端の能力を独占し、技術的な優位性が政治・経済的な支配力と直結するという構図は、かつての核開発をめぐる緊張を想起させずにはいられない。
科学の進歩は本質的に価値中立ではあるものの、それを運用する人間社会の倫理的成熟度が問われるのだということを、量子コンピュータという鏡は静かに、しかし鋭く映し出しているように思えてならない。