子どもが巣立った後の家庭に静寂が訪れるとき、多くの親は言いようのない喪失感に囚われる。これはいわゆる「空の巣」現象として、20世紀後半の欧米社会で広く認識されるようになったものの、その本質的な問題構造は、近代以前の社会においても形を変えながら繰り返されてきた普遍的な人間的課題であると言えるだろう。
歴史的に見れば、産業革命以前の農村共同体においては、親子の役割分担は経済的な文脈と不可分に結びついており、子の独立は親にとって即座に労働力の喪失を意味した。しかし同時に、共同体の絆が個人の孤立を緩和する機能を果たしていたため、現代的な意味での深刻な自己喪失感は相対的に抑制されていたと考えられる。ところが近代化の進展に伴い、核家族化と個人主義の浸透が急速に進んだ結果、親役割の終焉は個人の存在意義そのものを揺るがす深刻な契機へと変容するに至った。
20世紀中葉の欧米における調査研究は、子の巣立ちを契機として親、とりわけ専業主婦として生きてきた女性たちが著しい抑鬱傾向を示すことを明らかにした。これを受けて一部の論者は、子育てへの過度の自己投資こそが心理的脆弱性の根源であるとして、育児中心の生き方そのものを批判的に論じた。しかしながら、この見解は問題の一面しか捉えていないと言わざるを得ない。なぜなら、役割の終焉を危機として経験することは、当該の役割に誠実であり続けた証左でもあり、それ自体を否定することは、献身的に生きた時間の意義を根底から否定することに等しいからである。
重要なのは、親役割の終焉を喪失としてのみ捉えるのではなく、人生の第二段階への移行点として積極的に再解釈する視座を持つことではないだろうか。ライフコース研究の知見によれば、人間は生涯を通じて複数回の自己像の刷新を余儀なくされるものであり、その都度の再構築の過程こそが成熟した人格の形成に寄与するとされている。すなわち、空白を嘆くのではなく、それまで親役割の陰に隠れていた潜在的な自己の側面を掘り起こし、新たな社会的関与や創造的活動を通じて自己を再定義する営みが、この局面においては不可欠となる。
翻って現代の日本社会に目を向けると、長寿化と少子化の同時進行が、親役割の終焉を経験する世代の絶対数を増加させており、この問題はもはや個人の心理的課題にとどまらず、社会設計の問題として真剣に検討されるべき段階に達していると考えられる。歴史が繰り返し示してきたように、転換期の痛みを個人の内面に封じ込めるのではなく、社会的な対話の俎上に載せることによってのみ、持続可能な解決の糸口が開かれるのではなかろうか。