祖母の台所には、いつも食べ物が大切にしまわれていた。野菜の皮も、ご飯の残りも、何一つ無駄にしなかった。子どものころの私には、その理由がよくわからなかった。
祖母が若かったころ、日本は戦争の時代だった。食べ物が十分になく、人々は毎日の食事に苦労していたそうだ。祖母はよく「あのころは、今日食べるものがあるだけで幸せだった」と話してくれた。その言葉の重さを、当時の私はまだ感じることができなかった。
時代は変わり、今の日本には食べ物があふれている。スーパーには色とりどりの食品が並び、コンビニでは一日中温かい食事が買える。しかし、その豊かさの裏側に、大きな問題がかくれているとわかってきた。
日本では毎年、まだ食べられるのに捨てられる食べ物がたくさん出ているらしい。お店では、売れ残った食品が毎日処分される。家庭でも、買いすぎた食材が冷蔵庫の中で使われないまま期限を過ぎてしまう。この現実を知ったとき、私は胸が痛くなった。
先日、地域のフードバンクという活動を取材する機会があった。フードバンクとは、まだ食べられるのに捨てられそうな食品を集めて、必要としている人々に届ける活動だ。そこで働くボランティアの方が、「昔の人は食べ物を命のように大切にしていた。今の私たちはその気持ちを忘れてしまっているかもしれない」とおっしゃっていた。その言葉を聞いて、祖母の姿が頭に浮かんだ。
祖母が食べ物を大切にしたのは、ただ貧しかったからではないと今は思う。食べ物には、それを作った人の時間と努力がつまっている。その価値を知っていたから、一口も無駄にしたくなかったのだろう。
現代の私たちは、便利さと豊かさに慣れすぎてしまったのかもしれない。新しい商品がどんどん出てくる中で、まだ使えるものを古く感じて捨ててしまう。お腹がいっぱいなのに、目新しい食べ物に手をのばしてしまう。そんな自分に気づいたとき、少し恥ずかしくなった。
祖母はもういないが、台所に立つたびに私はあの言葉を思い出すようにしている。食べ物を大切にすることは、過去の人々の苦労を忘れないことでもあるし、未来の人々のために今できることをすることでもある。歴史の中に生きた人々の知恵は、時代が変わっても私たちに大切なことを教えてくれる。祖母の小さな台所は、そんな大きな真実を静かに語っていたのだと、今になってようやくわかる気がする。