かつて「輸出大国」として世界に名を轟かせた日本企業の姿を、私は高度経済成長の只中で目の当たりにしてきた。あの頃の企業戦士たちは、良質な製品を黙々と作り続けさえすれば、おのずと世界が振り向いてくれるという確固たる信念を抱いていた。品質こそが最大の武器であり、現地の文化や消費者心理を深く掘り下げることよりも、均質な製品の大量供給が至上命題とされていたのである。
ところが今日の若い経営者層は、まるで異なる地図を手に世界へと漕ぎ出している。海外企業の買収を通じて既存のブランドや顧客基盤を一気に取り込み、デジタルサービスを梃子にして現地市場に深く根を張ろうとする姿勢は、かつての世代には到底思い及ばなかった発想である。彼らにとって「日本製」という看板は出発点に過ぎず、現地の嗜好や価値観に溶け込むことこそが競争優位の源泉だと見なされている。こうした世代間の戦略観の乖離は、単なる手法の違いにとどまらず、企業そのものが何を核心的な強みと捉えるかという根本的な問いを突きつけている。
私の目には、上の世代と下の世代とでは「失敗」に対する感受性すら異なるように映る。かつての経営者たちは、慎重に積み上げた信頼関係を一夜にして損なうことを何よりも恐れ、海外進出においても自社の流儀を頑として曲げようとしなかった。その結果、現地スタッフとの軋轢や意思決定の遅滞が生じても、それを組織の統制が取れている証と受け取る節さえあった。
これに対し、今の世代は買収した企業の統合過程で生じる混乱を、いわば成長の痛みとして半ば織り込み済みとして受け止める傾向がある。試行錯誤を厭わず、現地の経営陣に大幅な裁量を委ねることをためらわない。もっとも、こうした柔軟性が裏目に出て、本社との理念的な齟齬が深まり、統合そのものが頓挫するケースも後を絶たない。
両世代に共通するのは、円安や地政学的変動という外圧に否応なく晒される中で、日本企業としての独自性をいかに保持するかという葛藤である。時代が変われど、その問いは世代を超えて受け継がれているように思えてならない。