田中記者は、ある企業の女性管理職登用に関する取材を進めていた。その日、彼女は都内の大手商社に勤める佐藤明子さん(38歳)に話を聞くため、会社近くのカフェを訪れた。
「最近、うちの会社でも女性管理職を増やそうという動きがあって」と明子さんは静かに話し始めた。「でも、正直なところ、制度が変わっても周りの見る目はなかなか変わらないんです。」
田中記者はメモを取りながら、もう少し詳しく聞かせてほしいと促した。
「先月、私が部長候補に挙げられたとき、同僚の男性が『会社の数合わせじゃないか』って小声で言っていたんです。聞こえていたと思いますけど。」明子さんはコーヒーカップをゆっくり置きながら、視線を窓の外に向けた。「否定したかったけど、その言葉がずっと頭から離れなくて。」
その表情には、悔しさとも疲れともとれる複雑な感情がにじんでいた。田中記者は何も言わずに待った。
「制度を作るだけでは不十分だと思うんです。たとえば、育児休業を取った後に元の職場に戻っても、重要な仕事から外されることがある。それって制度の問題じゃなくて、周りの人の意識の問題ですよね。」
取材の後半、田中記者は別の視点も聞いてみた。「制度を整えることで、意識が変わるという考え方もありますよね。」
明子さんはしばらく黙ってから、こう答えた。「それはそうかもしれない。でも、制度だけ先に進んでしまうと、かえって反発が生まれることもある気がします。職場の中で自然に受け入れられるには、もう少し時間と対話が必要なんじゃないでしょうか。」
帰り道、田中記者は取材ノートを見返した。明子さんの言葉の中に、制度と意識のどちらが先かという問いだけでなく、もっと個人的な何かが込められているように感じた。数合わせと言われた一言が、彼女の自信に深い傷をつけていたのかもしれない。
翌日、田中記者は人事部長へのインタビューも行った。「当社はこの三年で女性管理職の比率を二倍にしました」と部長は誇らしげに語った。しかし田中記者の頭には、昨日の明子さんの横顔が浮かんでいた。数字の向こうに、まだ言葉にならない課題が残っているに違いないと思いながら、彼女はペンを走らせた。