エンジニアとして三十年近くこの業界に身を置いてきた私が、今ほど複雑な感慨を抱いたことはなかったかもしれない。かつて私たちが純粋な技術的挑戦として取り組んでいた顔認証システムや位置情報の解析技術が、いつしか社会の根幹を揺るがす問いを孕むものへと変貌していったからだ。
振り返れば、二十年ほど前、私が所属していた開発チームは感染症の拡大抑制を名目として、個人の移動履歴をリアルタイムで把握するシステムの構築に携わった。当時の私には、それが人々の命を守るための正当な技術的貢献であるという確信があった。チームの仲間たちと夜を徹して議論を重ね、精度の向上に喜びを感じていた頃の記憶は、今も鮮明だ。
しかしながら、あの熱狂の裏側で見落としていたものがあったと、今の私は痛切に感じざるを得ない。緊急事態を口実として導入された追跡技術が、危機の収束後も「安全の担保」という名のもとに存続し続け、その適用範囲が静かに、しかし着実に拡張されていったのだ。防犯、テロ対策、さらには「社会秩序の維持」という曖昧な大義名分のもとで、収集されるデータの種類も規模も、当初の想定を遥かに超えた水準に膨れ上がった。
監視技術の拡大を好意的に捉える向きもある。確かに、犯罪抑止の実績や感染経路の迅速な特定といった成果は無視できない。だが私が懸念するのは、そうした技術の恩恵に目を奪われるあまり、私たちが何を代償として差し出しているかという問いを回避してしまう傾向だ。人々が監視されているという事実を内面化し、自己検閲を無意識のうちに行うようになった時、自由な思考や表現はいかなる形で残り得るのだろうか。
このまま現在の軌跡を辿るならば、二十年後の社会はいかなる様相を呈しているだろうか。AIによる行動予測と連動した「予防的介入」が常態化し、まだ何も行っていない段階で個人の自由が制限されるという事態は、決して荒唐無稽な未来像ではない。翻って、技術者としての私たちが担うべき責務は何か。設計段階から倫理的制約を組み込むこと、データの収集目的と保持期間を厳格に限定すること、そして市民が技術の運用に実質的に関与できる仕組みを構築すること——これらは理想論ではなく、今すぐ着手すべき具体的な課題だと私は確信している。
技術は中立ではない。それを形作る私たちの選択が、未来社会の輪郭を決定づける。かつての自分が無自覚に加担していたかもしれない事実と向き合いながら、私は今、同じ業界に生きる仲間たちに問いかけたい——私たちは誰のために、何を守るための技術を作っているのか、と。