齢八十を超えた今、振り返れば、かつて国家の安危というものは専ら兵站や砲弾の数によって測られるものであった。だが、現代の戦場はもはや可視の地平線の彼方にあるのではなく、光ファイバーの網目の奥深くに潜んでいる。電力網・金融システム・選挙基盤といった社会の根幹を担う重要施設が、姿なき敵の手によって一瞬にして機能不全に陥りうる時代を、老骨の身で目の当たりにしようとは、かつて夢にも思わなかった。
わが若き日に先人から叩き込まれた教えに、「備えあれば憂いなし」という言葉がある。然るに、現代の為政者たちはこの古来の知恵を十分に体現しているとは言い難い。サイバー領域における抑止戦略は、核抑止のような明確な相互確証破壊の論理を援用できないがゆえに、攻撃者の特定すら困難なまま、国家は報復の威嚇を有効に機能させることを余儀なくされている。これは、剣を持ちながら相手の顔を知らずに立ち向かうに等しい、まことに心許ない状況である。
加えて、民間企業が運営する通信・エネルギー基盤の大半が国家安全保障の最前線に位置づけられているにもかかわらず、官と民との間には依然として情報共有の壁が厚く立ちはだかっている。長年の経験から申せば、共同体の危機は、縦割りの慣習を打ち破り、互いの知恵を惜しみなく持ち寄ることによってのみ乗り越えられるものである。国際規範の形成においても同様で、各国が自国の利益を盾に協調を先送りにするならば、無法者だけが利を得るという道理は歴史が幾度も証明してきた。
老いた目には、この問題の本質は技術の問題というよりも、むしろ意志と連帯の問題として映る。いかに精緻な防御システムを構築しようとも、国家間・官民間の信頼という土台なくしては、砂上の楼閣に過ぎない。先人の知恵に倣い、今こそ腰を据えて国際的な合意形成と官民協働の仕組みを整えることが、次世代への最大の責務であると、この老骨は確信している。