「田中さん、最近どうですか。在宅勤務に慣れましたか」と、画面越しに上司の声が聞こえた。
「ええ、おかげさまで。通勤がなくなって、朝の時間が有効に使えるようになりました」
田中は笑顔で答えながら、心の中では少し違うことを思っていた。確かに通勤時間はなくなった。しかし、自宅では集中しにくい場面も多い。家族の声や生活音が気になるうえに、仕事とプライベートの境界がはっきりしなくなってきた。
上司はうなずきながら言った。「そうですね。うちの部署全体の作業量は増えているし、会議もオンラインで効率よくできていますよ」
田中は「そうですね」と返しながらも、画面の向こうにいる同僚たちの表情が読みにくくなったと感じていた。以前なら廊下で一言声をかけるだけで解決できたことが、今はメッセージを打つたびに少し気を使う。
会議が終わり、画面が暗くなった瞬間、田中は静かにため息をついた。生産性が上がったのか下がったのか、自分でもよくわからなくなっていた。
あれから二年が過ぎた。田中の会社では、週に三日は出社するという新しいルールが導入されていた。
久しぶりにオフィスに戻った田中は、同僚の山本と昼休みに話した。
「やっぱり顔を見て話すと違いますね。メッセージだと、相手がどんな気持ちで読んでいるか全然わからなくて」と田中が言うと、山本は少し間を置いてから答えた。
「でも、私は正直、在宅のほうが仕事に集中できていたと思います。オフィスだと、ちょっとした雑談で時間が取られることも多いですし」
田中はその言葉に驚いた。同じ経験をしてきたはずなのに、感じ方がこんなに違うとは思っていなかった。
「それぞれ合う働き方が違うということですかね」と田中が言うと、山本は静かにうなずいた。その表情には、どこか納得しきれていないものが残っていた。
二人はその後、しばらく黙ったまま窓の外を見ていた。会社のルールは一つでも、それぞれが感じる「働きやすさ」は、必ずしも同じではないわけだ。