北欧の福祉国家モデルを研究するため、田中准教授はストックホルム郊外の公営住宅地区を訪れた。高負担・高給付の制度が長年にわたって定着しているにもかかわらず、住民の勤労意欲が必ずしも損なわれていないという統計データに、彼は当初懐疑的であった。しかし現地調査を重ねるうち、自らの先入観が揺らぎ始めた。インタビューに応じた五十代の女性は、失業給付を受けながら職業訓練に専念し、一年後に新たな職に就いたと淡々と語った。彼女にとって給付制度は「怠惰を許容する装置」ではなく、「再起を可能にする踏み台」に他ならなかった。田中は、個人の自律を阻害するものとして福祉を捉える日本的な自己責任論の枠組みが、いかに文化的に偏向した視座であるかを痛感せざるを得なかった。連帯を基盤とする社会では、保障の充実こそが個人の挑戦を促すのだという逆説が、数値ではなく生身の言葉として彼の前に立ち現れたのである。
帰国した田中准教授は、日本の大学で福祉政策に関する公開講義を行った。聴衆の多くは、手厚い保護が依存心を助長するという通念を自明のものとして受け入れていた。田中は北欧での見聞を提示しつつ、こうした通念の根拠を問い直すよう促したものの、反応は二極化した。一方では「文化が違う以上、単純に比較できない」という慎重論が噴出し、他方では「日本でも同様の制度を導入すべきだ」という急進的な声が上がった。田中が最も注目したのは、しかしながら、そのいずれでもなかった。講義後に一人の学生が歩み寄り、「先生の話を聞いて、自分が努力しているのは本当に自分の意志なのか、それとも失敗を許されない恐怖からなのかが分からなくなりました」と呟いた。その言葉は、競争と保障のどちらが人を動かすかという問い以上に、人が自律的に行動しているという自己認識そのものの脆弱性を露わにしていた。田中は次の研究課題を、その一言に見出した。