スマートフォンの画面に、毎朝同じ通知が届く。「今日も血圧を記録しましょう」。私がこのアプリを使い始めたのは、去年の春のことだ。かかりつけの医師から「薬だけでなく、生活習慣の記録も大切ですよ」と勧められたのがきっかけだった。
最初は半信半疑だった。アプリで病気が治るわけがない、と思っていた。しかし、使い続けるうちに、考えが少しずつ変わっていった。毎日の記録が積み重なり、自分の体の変化が目に見えるようになったからだ。食事の内容や運動量、睡眠時間を入力すると、グラフが自動的に描かれる。そのグラフを見ながら医師と話すと、診察の中身がずいぶん具体的になった。
こうした仕組みを「デジタル治療」と呼ぶそうだ。薬を飲むわけでも、病院に毎週通うわけでもない。アプリやソフトウェアを使って、患者自身が日々の健康を管理する新しい形の医療だ。日本では2020年代に入り、禁煙を助けるアプリや血圧を管理するアプリが、初めて保険の対象として認められた。医療の世界に、静かだが確かな変化が起き始めたわけだ。
取材を進めると、さまざまな声が集まってきた。ある内科医はこう語った。「アプリは医師の代わりにはなれません。でも、患者さんが自分の状態を把握するうえで、とても役立つ道具だと思っています」。一方、別の専門家は懸念を示した。「効果があると証明された治療法かどうか、きちんと確かめる基準がまだ整っていない。保険が適用されるからといって、すべてのアプリが信頼できるとは限りません」。
患者の立場から見ると、また違う景色が広がる。地方に住む高齢者の中には、病院まで遠くて通うのが難しい人も多い。そうした人々にとって、スマートフォンで医師と相談できる仕組みは、まさに救いになり得る。距離という壁を越えて、医療が手元に届く感覚は、私自身も感じたことがある。
しかし、すべてがうまくいくわけではない。高齢者の中には、機械の操作に慣れていない人も少なくない。アプリを使いこなせないばかりか、誤った方法で記録してしまうこともある。デジタルの恩恵を受けられる人と受けられない人の間に、新たな格差が生まれつつあるのも事実だ。
私はあの春の朝を思い出す。医師に「試してみてください」と言われ、不安な気持ちでアプリをダウンロードした日のことを。あれから一年が過ぎた今、私の血圧は安定し、医師との会話はずっと豊かになった。デジタル治療が医療のすべてを変えるとは思わない。だが、うまく使えば、患者と医師の関係をより深くする可能性があることは、この一年で実感した。旅の道具が変われば、旅の景色も変わる。医療もまた、そういうものかもしれない。