田中誠一は、老舗の食品メーカーで包装設計を担う技術者である。ある秋の朝、会議室に呼び出された彼は、経営陣から「来年度中に容器の素材を生分解性のものへ全面移行せよ」という通達を受け、思わず眉をひそめた。
田中は即座に反論の資料を取り寄せ、翌週の会議で数字を並べて見せた。生分解性素材は従来品の二倍近いコストを要するうえ、耐熱性や防湿性において劣位に立つことが多く、食品の品質保持という根幹的な機能を損なう恐れがある、と彼は力説した。さらに、生分解性と称される素材の多くが、特定の温度・湿度条件が整った産業堆肥施設でなければ分解されないという現実を指摘し、「消費者が家庭ごみとして排出すれば、結局は埋め立て地に積み上がるだけだ」と語気を強めた。
田中の主張は、理念を優先するあまり現場の制約を度外視した拙速な政策決定を批判するものであった。彼は理想の旗を掲げることに異を唱えるつもりはないものの、実効性を伴わない転換は企業の競争力を削ぐのみならず、環境改善という目標そのものを形骸化させると確信していた。
同じ会議室に、環境戦略室から若手研究員の桐島葵も同席していた。田中の発言が一段落したところで、桐島は静かに立ち上がり、手元の資料をスクリーンに映し出した。
桐島がまず示したのは、海洋に流出した微細な合成樹脂片が食物連鎖を通じて生態系全体に蓄積しつつあるという国際機関の調査データであった。彼女は「コストや機能の問題は確かに看過できないが、現状維持を選び続けることのツケは、数字に換算しきれないほど甚大だ」と静かに、しかし毅然と述べた。
桐島はさらに、包装素材の転換を段階的に進めてきた欧州の食品企業が、長期的には調達コストの安定化と消費者からの信頼獲得という形で投資を回収しつつある事例を挙げた。処理インフラの整備が追いつかないという田中の指摘については、「だからこそ企業が自治体と連携し、回収・処理の仕組みを同時並行で構築していく必要がある」と応じ、困難を理由に踏み出さないことこそ問題の先送りに他ならないと論じた。
会議が閉幕する頃、二人の議論は平行線をたどったままであったが、田中は桐島の言葉の一節が頭から離れないことに気づいていた。