先週の日曜日、子どもたちを連れて近くの公園に行った。そこには最近、市が設置した大きな金属の彫刻があった。子どもたちは最初、その不思議な形に戸惑っていたが、しばらくすると彫刻の周りを走り回り、触ったり、くぐったりして遊び始めた。その様子を見ながら、私はふと考え込んでしまった。
こういった街の中の芸術作品が、今後どのような役割を果たしていくのだろうか。私が子どものころ、美術館というのは特別な日に行く場所だった。入場料もかかるし、静かにしなければならないし、正直なところ少し緊張する空間だった。しかし今、公園や駅前や商店街といった日常の場所に芸術作品が置かれるようになってきた。これは単なる景観の飾りつけではなく、市民の暮らしに芸術が溶け込んでいく変化の始まりではないかと思う。
もっとも、すべてがうまくいくわけではない。設置費用は税金から出ることが多く、「なぜそんなものにお金を使うのか」という声も聞こえてくる。私自身も、家計のやりくりに頭を悩ませる毎日の中で、そういった疑問を感じたことがないとは言えない。しかし、子どもたちが彫刻を前にして「これ何?」「どうやって作ったの?」と目を輝かせている姿を見ると、その価値は数字では測れないと感じるのも事実だ。
今後、こうした取り組みがさらに広がっていくとすれば、行政と市民の間でしっかりとした対話が必要になるに違いない。どんな作品を、どこに、どのような目的で置くのか。そのプロセスに市民が関わることができれば、芸術は「押しつけられたもの」ではなく、「自分たちのもの」という意識が生まれるはずだ。実際、ある地方都市では住民が話し合いを重ねて壁画の制作に参加したことで、地域への愛着が深まったという話を聞いたことがある。
子育てをしていると、子どもが何に感動するかわからない場面によく出会う。美術館の名画よりも、公園の変わった形の彫刻のほうが子どもの心を動かすこともある。大切なのは、芸術に触れる機会が特定の人だけのものではなく、誰にでも開かれているということではないだろうか。
これからの都市が、もし芸術を暮らしの一部として自然に取り入れていくなら、その恩恵を受けるのは大人だけではない。今日、彫刻の周りを走り回っていた子どもたちが、やがて大人になったとき、街の中の芸術を当たり前のものとして受け入れ、さらに次の世代へとつないでいく。そんな未来を、親として期待せずにはいられない。