振り返れば、私が初めて会社を興したのは、バブル崩壊直後の荒廃した経済の只中においてであった。あの時代、多くの企業が人員削減を余儀なくされ、「モーレツ社員」という言葉が称賛から嘲笑へと転じつつある過渡期にあった。私はそうした時代の空気を肌で感じながらも、むしろそこに逆張りの好機を見出していた。
当時の日本の職場は、長時間労働を美徳とする風潮が根強く残っており、深夜まで灯りの消えないオフィスが勤勉の象徴として語られていた。しかし私が目を向けたのは、そうした環境下で静かに蝕まれていく人間の活力であった。過労による疾患が社会問題として浮上し始め、「過労死」という言葉が国際語として通用するほどの惨状を呈していたにもかかわらず、制度的な改革はなかなか緒に就かなかった。私はその矛盾を直視しながら、従業員の心身の充実こそが企業の持続的成長を支える礎であるという確信を深めていった。
創業から五年が経った頃、私はある大胆な実験を試みた。週休三日制の導入と、フレックスタイム制の全面適用である。周囲からは「経営の根幹を揺るがす愚策だ」と冷笑されたものの、私は意に介さなかった。結果は予想を超えるものであった。生産性は二割近く向上し、離職率は劇的に低下した。従業員の表情が変わり、創造性に満ちた提案が現場から次々と生まれてくるようになったのである。
この経験は、私に一つの歴史的教訓を想起させた。産業革命期のイギリスにおいて、ロバート・オーウェンが工場労働者の待遇改善を訴え、労働時間の短縮と教育の充実を実践した事実である。彼は当時、理想主義者として嘲笑されたが、後世においてその先見性は高く評価されるに至った。翻って現代の日本においても、制度的アプローチによる職場改革は、個人の生活の質を底上げするのみならず、社会全体の活力を再生する契機となり得るのではないかと私は確信している。
今、六十代を迎えた私がグローバルな視点でこの問題を眺めるとき、制度と個人の選択という二つの軸は決して対立するものではないと痛感する。北欧諸国が示すように、柔軟な働き方を支える制度的基盤があってこそ、個人は真に自律的な選択を行い得るのである。かつて私が冒険的と評された経営判断は、今や多くの企業が倣うべき標準へと昇華しつつある。歴史は、時に先駆者の孤独な挑戦を経て、ようやく時代の常識を塗り替えるものだと、私は自らの半生を通じて深く刻み込んできた。