私が学校に通っていたのは、もう六十年近く前のことになる。あの頃は、先生の言うことを黙って聞くのが当たり前で、みんなが同じ教科書を使い、同じ速度で学ぶのが普通だった。それが正しいことだと、誰も疑わなかったわけだ。
しかし今になって思えば、あの仕組みには問題があったに違いない。足の速い子も遅い子も、同じペースで走らせるようなものだったからだ。得意なことがあっても、それを伸ばす機会はなかなか与えられなかった。苦手なことがあっても、立ち止まって丁寧に学ぶ時間は許されなかった。すべての子どもが同じ型にはめられていたわけだ。
最近、教育の在り方を見直す動きが広がっているという話を耳にする。子どもの個性を大切にし、一人ひとりの学び方に合わせた教育を目指すというものだ。文部科学省も、学校での学び方を変えるための指針を改めて出したと聞いた。
もちろん、変化に戸惑う気持ちは理解できる。長年続いてきた仕組みを変えるのは、簡単ではないはずだ。学校の先生方も、新しいやり方に慣れるまでには時間がかかるだろう。しかし、時代が変わる以上、教育も変わらなければならないのではないだろうか。変えることへの不安よりも、変えないことへのリスクのほうが大きいと、私は思うようになった。
一方で、「昔の教育がすべて悪かったわけではない」という意見もあるだろう。確かに、基礎的な知識をしっかり身につけるという点では、あの頃の教育は優れていた面もあったと感じる。読み書きや計算の力は、今の子どもたちにもぜひ大切にしてほしいと思う。
だからこそ、大切な基礎を守りながら、子どもの個性も尊重できる教育の仕組みを作ることが求められているのではないか。古いものをすべて捨てるのではなく、良いものを残しながら新しい形を加えていく。それが、これからの教育改革が目指すべき方向だと、七十年以上生きてきた私は強くそう感じている。