わしが若い頃、ある外国の友人と朝の過ごし方について話したことがある。その友人は「朝は自由に過ごすものだ。決まった順番で行動するのは窮屈だ」と言った。わしはそのとき、少し驚いた。なぜなら、わしにとって朝の決まった行動は、縛られることではなく、むしろ心を落ち着かせるための大切な儀式だったからだ。
日本では昔から、朝に同じことを同じ順番で行うことが、一日の始まりを整える方法だと考えられてきた。顔を洗い、茶を一杯飲み、少し窓の外を眺める。こうした単純な行動の積み重ねが、その日の気持ちの土台を作るわけだ。乱れた朝を過ごすと、なんとなく一日中落ち着かない気分になる。これは多くの人が経験することではないだろうか。
一方、自由を大切にする文化では、毎朝違う行動をとることで、新鮮な気持ちを保てると考えるらしい。どちらが正しいかではなく、心の安定をどこに求めるかが、文化によって違うということだ。決まった行動の中に安心を見つける人もいれば、変化の中に活力を見つける人もいる。大切なのは、自分に合った朝の形を見つけることだとわしは思う。
孫たちを見ていると、朝が苦手な子が多いと感じる。夜遅くまで画面を見て、朝は慌てて起きて、何も考えずに一日が始まる。それでは心の準備ができないまま、忙しい時間の中に飛び込んでしまうことになる。
昔から日本人は「段取り八分」という考え方を大切にしてきた。つまり、準備がうまくいけば、仕事の大部分は終わったも同然だという意味だ。朝のひとときも、その日一日への準備の時間と考えると、意味が変わってくる。着替えをきちんとする、今日やることを頭の中で整理する、静かに食事をとる。こうした行動は、単なる習慣ではなく、心を整える準備そのものだ。
ところが、効率を重んじる考え方が広まった現代では、朝の時間をできるだけ短くして、すぐに活動に入ることがよいとされることもある。確かに時間は大切だが、心の準備なしに動き始めると、集中力が続かないうえに、小さなことで気持ちが乱れやすくなるに違いない。文化や時代によって朝の過ごし方の価値観は異なるが、「整える」という行為そのものの大切さは、どの文化にも共通しているようにわしには思える。