田中誠一は、今年で四十歳になった。ある秋の夜、机の前に座って、ふと昔のことを思い出した。二十歳のころ、彼は大学を中退し、夢を追って東京に出てきた。しかし、現実はそう甘くはなかった。
誠一は当時、小説家になりたいと思っていた。毎日原稿用紙に向かい、何百枚も書いたが、どこの出版社にも認めてもらえなかった。お金も尽き、アルバイトをしながら生活するうちに、だんだんと夢から遠ざかっていった。二十五歳のとき、彼はついに小説を書くのをやめ、普通の会社員になることを選んだ。
その選択を後悔していた時期もあった。三十代に入ってからも、書店の前を通るたびに胸が痛んだ。「あのとき、もう少し続けていれば」と何度も思った。しかし、会社での仕事を通じて、誠一は少しずつ変わっていった。人と話す力がつき、物事を整理して伝える能力が育っていった。それは、若いころには気づかなかった自分の強みだった。
四十歳になったある日、誠一は会社の広報部に異動になった。そこで彼は、社内報の編集を任された。文章を書き、人の話を聞き、それをわかりやすくまとめる仕事だった。誠一はその仕事に、不思議なほど自然に入り込んでいった。同僚たちは「田中さんの文章は読みやすい」と言ってくれた。
その夜、誠一は一枚の紙を取り出し、ペンを持った。二十歳の自分への手紙を書こうと思ったのだ。
「二十歳の自分へ。君は今、夢がかなわないことに苦しんでいるだろう。でも、その苦しみは無駄ではない。君が書き続けた日々は、確かに君の中に残っている。道は一つではない。遠回りに見える道が、実は自分に合った道だったということもある。焦らなくていい。今の経験は、必ずどこかでつながる。」
書き終えた誠一は、静かに紙を折りたたんだ。涙は出なかった。ただ、胸の中に温かいものが広がっていくのを感じた。
過去の自分を責めることをやめたとき、人は初めて前を向けるのかもしれない。誠一はそう思いながら、窓の外の夜空を見上げた。星が、いつもより少し明るく見えた。