今、窓の外に広がる東京の夜景を眺めながら、私はかつて自分が下した決断の意味を、改めて問い直さずにはいられない。
あれは二十年ほど前のことだ。私が勤めていた精密機械メーカーは、製造拠点の海外移転を決定し、国内工場の大半を閉鎖するという方針を打ち出した。当時の私は経営企画部に籍を置き、その移転計画の立案に深く関与していた。円高が輸出競争力を著しく損なっていた時代、コスト削減と市場開拓を同時に実現する手段として、海外への直接投資は自明の選択肢と映っていた。数字の上では、あらゆる論拠が移転を支持していた。
ところが計画が現実のものとなり、地方工場で長年働いてきた技術者たちが職を失い始めると、私の内部では言いようのない亀裂が走った。彼らの多くは、その土地に根を張り、地域の経済を担ってきた人々だった。生産が海外子会社へと移行するにつれ、確かに企業の収益は改善された。投資先から還流する利益は決算書を潤し、株主は満足し、経営陣は戦略の正しさを自賛した。しかし私には、その黒字の裏側に、数字には現れない何かが静かに失われていくような感覚が拭えなかった。
問題は、経済的な損得勘定に収まるものではなかった、と今は思う。産業が空洞化するとは、単に雇用が減るということではなく、人々が培ってきた技術の伝承が断ち切られ、地域の共同体が瓦解し、働くことを通じて得られていた尊厳の基盤が崩れることを意味するのではないか。対外投資が生み出す所得収支の黒字が国全体の経常収支を支えているという事実は否定できない。だが、その恩恵が誰に届き、誰の手の届かぬところで数字だけが循環しているのかを問わずして、経済の持続可能性を語ることはできまい。
円安が進行した近年、海外子会社からの配当収益は円換算で膨らみ、日本が世界最大級の対外純資産国であることが改めて喧伝されるようになった。だが、その豊かさの実感が国内の労働者や地方の住民に届いているかと問われれば、私は即座に首肯することができない。今後、少子化と国内市場の縮小が一層深刻化するにつれ、企業の海外依存はさらに高まる可能性があり、資本と雇用の乖離は不可逆的に拡大するかもしれない。
二十年前、私は正しいことをしたのだろうか。その問いに今も確たる答えは出ない。ただ一つ言えるのは、経済の論理と人間の論理は、しばしば互いを食い尽くしながら共存しているということだ。その緊張に目を背けず、引き受け続けることこそが、この問いを生きることなのかもしれない、と私は夜景に向かって静かに呟く。