インターネットが普及し始めた初期の段階において、情報技術の専門家たちはネットワーク空間を「多様な意見が自由に交差する公共の広場」として理想化する傾向にあった。当時の検索エンジンや情報提供サービスは、主にキーワードの一致度や文書の被リンク数といった比較的単純な指標に基づいて情報を提示しており、利用者の過去の行動履歴を参照する仕組みはほぼ存在しなかった。その結果、同一の検索語を入力すれば誰もが概ね同じ結果を受け取るという、ある種の情報的平等性が担保されていた。しかしながら、この時期においても情報格差や識字能力の差異に起因する認知の偏りは潜在的に存在しており、技術的な中立性が社会的な公平性を自動的に保証するわけではないという点は看過されがちであった。情報の量的拡大が質的な多様性をもたらすという楽観的な前提のもとで、プラットフォームの設計者たちは利用者の自律的な判断能力を過大評価し、情報環境の構造的問題に対して十分な批判的考察を加えることなく技術開発を推進していったのである。
機械学習技術の急速な高度化に伴い、現代の推薦システムは利用者の閲覧履歴・滞在時間・反応パターンといった膨大な行動データを解析し、個々の嗜好に極めて精密に適合したコンテンツを自動的に選別・提示するに至っている。こうした仕組みは表面上、利用者の利便性を飛躍的に高めるものとして歓迎されるものの、その副作用として、自らの既存の価値観や信念を補強する情報のみが繰り返し提示される閉鎖的な情報環境が形成されることとなった。この現象は、個人が自身の思想的な泡の内側に閉じ込められるという意味で「情報的繭」とも形容される。さらに問題を複雑にしているのは、利用者自身がこのような選別の機構に晒されていることをほとんど自覚しない点にある。プラットフォームの収益構造が利用者の滞在時間の最大化を至上命題としている以上、感情的な反応を惹起しやすい扇情的なコンテンツが優先的に拡散されるという構造的な歪みは、技術的な改善のみによって解消されるものではなく、社会制度や規制のあり方をも含めた包括的な議論を余儀なくされている。