新型コロナウイルスが世界中に広がったとき、日本政府は強制力を持たない「お願い」という形で市民に行動の自粛を求めた。法律で罰則を設けるのではなく、「感染を防ぐために協力してください」と呼びかけるやり方だ。当時は「それで本当に効果があるのか」と疑問を持つ人も多かった。しかし振り返ってみると、この対応には日本社会の特性が深く関わっていたことがわかる。
私は50代の会社員として、あの時期を現場で経験した一人だ。職場では毎朝体温を測り、会議はオンラインに切り替わり、飲み会は禁止された。上から「やれ」と言われたわけではなく、職場全体が自然と動いていた。日本人が持つ「周りに迷惑をかけてはいけない」という意識が、結果的に感染の広がりを抑える力になったのだろう。その点は素直に評価できる。
ただし、この「自粛文化」には危うい面もある。政府が責任を取らずに市民に負担を押しつける構造になりやすいからだ。感染が拡大しても、「お願いしたのに守らなかった人が悪い」という言い訳が成り立ってしまう。実際、飲食店や中小企業は大きな損害を受けたにもかかわらず、十分な補償を受けられなかったケースが続出した。強制力がない分、政府の責任も曖昧になったわけだ。
さらに深刻だったのは、医療の現場が限界に達しつつあったことだ。感染者が増えるにつれて、病院のベッドが足りなくなり、重症患者でも入院できない状況が生まれた。これは今回突然起きた問題ではない。日本はかつてから病床数は多かったが、感染症に対応できる専門的な体制が整っていなかった。過去の経験から学ぶ機会があったにもかかわらず、備えが不十分だったと言わざるを得ない。
では、今後どうすればよいのか。まず必要なのは、危機に備えた明確な役割分担を法律で定めることだ。「お願い」に頼るだけでなく、いざというときに誰が何をするかをあらかじめ決めておく必要がある。また、市民への情報公開も重要だ。感染の状況や医療の余裕がどのくらいあるかを、わかりやすく正直に伝えることが信頼につながる。
あの時代を経験した者として思うのは、危機管理とは「その場をなんとかしのぐ」ことではないということだ。次の危機に備えて、今のうちに仕組みを整えておくことこそが、本当の意味での準備だと私は考える。歴史から学ぶとは、過去の失敗を繰り返さないための努力を続けることに他ならない。